人間。元(具体名は不明)軍人の女性、バー(世界堂)の、頼れる姉御店主。
世界堂はプリズンの第四層(一般層寄りの貧困層)に位置するバーであり、団地の間の細い道の更に奥、更にその奥の奥に位置する、程よい大きさのネオンが光る、知る人ぞ知る名店である。店の更に奥に、中くらいの物置と、イザベラの小さな寝床がくっついた構造になっている。リビングダイニングはなく、彼女はほぼ店の中で日々の生活を送っている。店内にはからくり時計やアクリルのホテルキーホルダーをはじめ、花瓶、オルゴールボックス、たくさんの古書、優しい目の人形など、現代では失われてしまった、ロマンスと遊び心に満ちたたくさんの珍品がある。落ち着いた雰囲気と店主の人柄にとろかされ、どこまでもゆったりとくつろげる。
こんな奥まったところにあるので、人から具体的な場所と行き方を教えてもらわないかぎり店の存在を知って来店することは出来ないし、そもそも客の全員が彼女との個人的な知り合いで、店そのものを守るために彼女、あるいは客が本当に信頼をおける人のみに存在を伝えるという暗黙の了解がある。そのため貧困層でありながらも店に悪い輩が寄り付くことはほぼ無いが、細い道から団地に出れば一気に貧困層らしくなるため、彼女は店に来る人びとが安全に通えるように、そいつらのうち人に危害を加える奴らだけを追い払っている。
元軍人であるため、腕っぷしは非常にたつ。
第3,4層の自警団に所属しており、その口ぶりと腕っぷしを活かして治安維持に貢献している。周囲の人びとからの人間的な評価はすこぶる高い。他人の痛みをわかる人間であるからこそ、こんなご時世でもうまくやっていけているようだ。
世界堂は、現在では珍しくなってしまったまさに青い星中の古酒と、野菜などの新鮮な食材を使った料理が味わえる店であり、訪れる人からの味の評判は正に上々である。食事やデザートは、ハンバーグ、ビーフシチュー、グラタン、サラダ、スープ、パンに加え、クリームソーダやアイスクリームやケーキ各種といった、以前の世界で言う日本の昭和の喫茶店に近いラインナップである。ただしメニューにないレシピも多く、「〇〇が食べたい」といえば、だいたい作ってくれたりもする。価格はあって無いようなもので、意外と適当。温情で会計からこっそり値引いてくれることも多い。彼女には他に安定的に金銭を得る手段を持っているらしく、少なくともこの店は生活のためだけに営業しているわけではないようだ。そして、だからこそこの星にかつて存在したロマンを生かす店づくりが出来ているのだ。
ここには、人間の無駄を、余剰を受け容れてくれる強さ、優しさがある。
彼女自身は、カイからは姉(あね)さんと呼ばれている(カイ本人はほんとうは母さんと呼びたいくらいの思いでいるが、やはり彼の中にあの母親の記憶があるため憚られるようだ。)。セイガも、初めて出会ったときからカイに倣って姉さん呼びをしている。カイの実情を知っていると同時に、途中から生活をともにするようになったセイガを除けばカイが頼ることのできるほぼ唯一の人物で、事実上母親と同等の役割を担っており、実際非常に気にかけてくれている。面倒見がとても良い。本当はカイを引き取って一緒に生活したい気持もあるが、カイが、生きるためには無条件に「一人で居ること」を必要とする人間であるとわかっているので、事態の深刻さを理解しつつもあえてそこまでは踏み込んでいない。カイとセイガは店が閉まってから、閉店したあとの、ドアにカーテンがかかってネオンも消灯した店に訪れる。イザベラは閉店してからずっと、カイのことを待っている。2人のあいだに連絡手段は無いし、そのタイミングは完全にカイに委ねられている。それでも毎晩、ただただ待ってくれているようだ。普段は飯を一切食べないカイも、イザベラの前なら少しだけ飯を食べられるらしい。微笑みと、ほんの少しの心配がにじんだ表情で言う「いくら食べなくても死なないっていったって、たまにはちゃんとごはんも食べなさいよ」が毎度の口癖。店でご飯を出してくれるだけでなく、保存の効く手作りのおかずをタッパーに作って持たせてくれる。カイが食べられないとわかっていても、それでもやはり気持としては持たせざるを得ないようだ。但し、セイガがやってきてからは少しずつカイも飯を食べられるようになり、セイガがやってきてからの初めての来店(物語中の初来店)で、カイの色艶がほんのすこしだけ良くなっていることに気付いたとき、本当に、本当にうれしそうにしつつも内心ではすこし寂しがっていた。そしてそのことをカイもわかっていたからこそ、一抹の申し訳なさと、それでもセイガに傾倒していくことを止められない自分との間での葛藤があったようである。セイガがカイのもとにやってきてからは、内心では心が揺れ動きつつもセイガのことを受け容れ、店では2人分の食事を用意するだけでなく、缶詰やレトルトだけではつまらないし成長にもよくないからと、セイガのために野菜などの、新鮮で現代ではとても手に入らないような、世界堂で使っている食材も持たせてくれるようになった。彼も連れた2回目以降の来店では、食材を入れて持ち帰るための大きなリュックをセイガが持って行くようになった。カイが代わりに持とうとしても、カイのことが大好きで大丈夫だといってきかない。けれど、毎度のごとくイザベラが大量に持たせてしまうため、結局カイも少しは持つことになるらしい。
セイガの存在がカイにとって宝物だと、そしてセイガもカイのことを裏で懸命に支え続けていることを1回目の来店ですぐに理解し、そして尊重している。本当に出来た人間である。
また、少ないながらも、カイの目が離れているうちにセイガがイザベラに相談したり、時によっては何も言わずに抱きついたりすることもあった。それを通して徐々にセイガとの関係も深まっており、セイガのことも、いつのまにかセーちゃんと呼ぶようになっている。普通の人間はセイガに接するだけで恐怖を感じて足がすくんでしまうのに、本当に良い意味で肝が座っている。
店で出す料理の材料であり、また帰りに持たせてくれる新鮮な食材は秘密の裏ルートから仕入れているらしい。彼女自身、現在でもエニグマでも政府でも自警団でもないなにかしらの組織にも属しているらしい(そして、そこを通じて生活を建てているらしい)が、その詳細はカイですら知らない。
また、古くない、安い値段で比較的新しめの酒類に関しては世界堂専属の醸造人がいるらしい。その人もまた軍人時代の古い知り合いなのだという。
カイとセイガの二人は戸籍を持っておらず政府の社会保障が受けられないため、その分の援助もおこなってくれている。
本当に頼れる姉御である。
セイガが夢の世界を通じてカイが生まれたばかりの世界(過去の青き星、もともとセイガとカイが生まれた地点)に戻って兄になり、そんなセイガを探して赤き星にカイが旅立ってからは暫くの期間離れ離れになるも、アレイの手によって青き星と赤き星の境界が消えて第二次人怪戦争が始まり、その最中で第三、四層で大規模な戦闘が発生し、それらを必死に迎撃しつつもやられそうになってしまったところを、たまたまカイに助けられて再会する。細い線なのは変わらずとも筋骨隆々とし、また大人びた、決意を秘めた表情になったカイを見て、再会とその成長ぶりを泣いて喜ぶ。奥まったところにあるおかげで店は無事で、いったんカイを迎え入れて久しぶりの食事と雑談を交わした。ここからは、ときどき離れ離れになりつつも常にトランシーバーで互いの状況を確認し、同じ志をもって行動するようになる。
カイがセイガと再会し、その目的を達成する最後の最後まで、その瞬間瞬間を裏で支えつづけた。物語きっての影の功労者である。
