ここはね、すーごく、いいとこ。
ニンゲンも、カイキも、ソノホカも。
いちど、おいでよ。
人間は、皆が障害者だ。
衆目にはそう映らなくとも、個々人が鏡をみれば、それぞれの絶望的な形で体はひん曲がっているのだ。
しかし、切実な人間は、その自分の歪みに残酷な対決をしながら、また時には労りながら、局面を貫き、進んでいくのだ。
茨の道を突き進むことこそが、人間の喜びだ。
言いようのない重さを、共々経験し、噛みしめることが、人間の生き方の極意だ。
人間は、たしかに怪奇に比べて誇りをもっている。
しかし、その誇りは、奇怪な曲折を土台にしているのだ。
「自由」にこだわると、たちまち自由でなくなってしまう。いかにも人間らしい矛盾だ。
幸せをうたうものに、碌なものはない。
この人生の虚しさから脱出するには、自分の人生は自分で責任を取らなければならない。甘えてはならない。
現在があって、初めて過去がある。
人間のつらさは、つまらぬ小さなことでも覚えていること、忘れられないことだ。
単数であり、複数であるからこそ、人間だ。
生まれようと欲するものは、世界を破壊しなければならない。
本作における「監獄」とは、人間のことであり、赤き星のことでもある。
夢の内容
胎児の頃の記憶。
醜悪な化け物に、人間の精子が潜り込んでいき、ひとつになる。
かつて実の母親(怪奇)に捨てられ、育ての母親(人間)には虐待され、大好きな兄とは常に引き剥がされた。
段々と、自分が他の人間と異なることを自覚していった。
挙句の果てに兄は消え、母親に身体を跡形も残らないくらいまでぐちゃぐちゃにされた。
それでも、死ねなかった。
ーーーー
兄との楽しい思い出。
二人で、遊び、走り、ころんでも、すぐに兄が起こして手当てしてくれた。
兄は、何度も抱きしめてくれた。すごく温かかった。
辛い夢と幸せな夢が、混濁している。
それが現実じゃなくたって、そんなこと、まったく気にしなかった。
誰も悪くなかった。
みんな頑張ったけれど、だめだった。
不可解だったものが、じわじわと明らかになっていく。
最も怖いのは、人間である。
日常を作るのが人間ならば、それを壊すのも人間なのだ。
怪奇達は、一人として人間に危害を加えようとはしなかった。
ただ出現し、いつしか去っていくだけだった。
それなのに、人間たちは、、、
人間と怪奇
時代はどこかの未来世界。
碧き星、その裏にあたる、紅き星。
神をかたどった人類。
幼い頃から、悪い事ばかりを思う。
人間は、血肉に過ぎない。
人怪戦争よりもずっと昔、人間が怪奇と関わり始めたもっと前の時代から、「奴らは人間じゃ無いから殺しても構わない」という虚構、神話を信じた結果、本来出せないまでの力を発揮した。
人間が物質文化であるのに対し、怪奇は精神文化である。
精神文化であるから、精神科学分野の研究は何よりも盛んに行われている。
しかし、長らくの間大した理論は得られず、この世界は未だ、一人の巫女だけが聞ける蒼き星の声によって律されていた。
怪奇はこれまで、どんなに尽力しようとも、人間の研究の最前線以上の理論は何も得られなかった。
従って、本来怪奇にとっては唯物科学よりも余程重要である筈の精神科学の分野の研究成果はいささか陳腐なもので(人間は、精神科学の分野をあまりにも蔑ろにする為)、赤き星に広がるものは、宗教的、思想的、非科学的な理論のみであった。
怪奇にとって、とても十分であるとは言い難かった。
従って、大規模な犯罪といえば、人間世界によくある唯物科学応用の犯罪、人間の真似事のみであった。しかも、唯物科学に対してはいささか無関心な怪奇を心の底から震撼させるようなものでもなかった。
しかし、ある天才によって、転機が訪れた。
数多の審神者によって構成され、赤き星を律する政府には、審神者でない政府関係者達が集う、赤き星最大規模の精神科学研究が行われる施設がある。
それでもなお、その理論は人間以上のものにはならず仕舞いで、陳腐なものであった。
しかし、そこの研究者であるシンキが新たに唱えた「精神科学」の内容は、あまりにも恐怖的な原理、原則に満ち満ちていた。
例えば、その精神科学の一分野となっている「精神病理学」の中には、その暗示作用によって、怪奇の精神状態を突然、別個体になったかのように変化させる、、、
そして、その怪奇の精神生活を一瞬で打ち消して、その精神の奥底に眠る性格と入れ替える、、、
などといった、戦慄すべき理論と実例が、数限りなく含まれている。
しかもその理論は飽くまでも科学的に的確、深刻なものであるにも関わらず、その作用の説明や実験の方法は、従来の科学のような研究者のみが理解可能なものではなく、極めて平凡で、下手をすれば幼子にも理解可能な程度のものである。
つまり、考えようによっては、ここまで危険な研究、実験は無いのである。
万が一、一般にこの秘密の研究の内容が漏れれば、どのような事変が発生するのか、もはや予想できない。
その害毒は到底、人間の作り出す唯物科学的な兵器とは比べ物にならない。
であるから、この精神科学の理論が、従来の宗教的、思想的な理論と同様に一般社会の常識として普及することがあってはならない。
その時には、現在の怪奇社会で人間の真似事の唯物科学応用の犯罪が横行しているのと同じように、精神科学応用の犯罪が横行するであろうことを、当然の帰結として覚悟せねばならない。
しかし、そうなればもはや取り返しが付かないであろう。
この精神科学応用の犯罪が横行する世界が実現されれば、昨今の唯物科学応用の犯罪とはちがって、ほとんど絶対に検察、調査の不可能な犯罪が、あちらこちらで湧き出すに違いない。
従って、シンキの唱えたこれらの理論は、絶対に外部に漏らしてはならない機密情報なのである。
と同時に、万一の場合を予想して、この種の犯罪の予防対策方法と、犯罪の研究探索方法を、できる限り周到に研究しておかねばならない。
怪奇は、苦しむ。
一度でも人間を覚えた怪奇は人間を求め、人間に支配される。
人間の血肉を、求め続ける。
それを喰らい続けなければ、人間の心は失われていく。
一度でも人間を喰らった怪奇は、呪われる。
人間の心を失うのが、恐ろしくて仕方なくなる。
これは、神をかたどった人間特有の性質だ。
本来の怪奇は、他の何かを喰らっても、また直ぐに別のものを喰らうことが出来る。
つまり、自分を捨てる、言ってしまえば、自殺と等しい行為を平気で出来てしまう。
怪奇共は、人間を喰らわなくとも、生きていけると理解している。
むしろ、人間の心など持たない方が、ずっと楽で、ずっと幸せだと理解している。
それなのに、捨てられない。
自分の心を、拭い捨てられない。
この檻からは、この監獄からは、決して脱出出来ない。
当初、怪奇は目が開けなかった。
人間を喰らうことによって視野が広がり、自身が知りえもしなかったことを知った。
血肉である人間と異なり、只の塵に過ぎない怪奇は、死ぬと塵に還る。
腐りすらせずに、血しぶきも無く、音もなく、静寂の中で消えていく。
腐ることは、生の象徴だ。
それすら持たない怪奇は、生きていると胸を張って言えるのだろうか。
そのひとつの体、ひとつの顔に、飽きることはない。
怪奇の持つ永遠性は余りあった。
だから、怪奇の多くは、急ぐことを知らなかった。
何時間でも、何日でも、じっと一つを見続けた。
怪奇にとって、時間はいつまでも終わりがなく、のろのろと過ぎていくものだったからだ。
時間は、怪奇にとっては、なんの意味も持たなかった。
怪奇は、体が傷つくことは、恐れなかった。
いくら血が吹き出そうとも、後片付けの大変さを悠長に考えていられる程であった。
一方で、心が傷つくことはめっぽう恐れたのだ。
現在の赤き星では、食用に人間が飼育され、青き星から流れてくる人間は、全員が捕獲され、高級な食用品として売られることになっている。全ての怪奇には、漂着した人間を発見したときは、ただちに通報する義務がある。赤き星の存在が、青き星に漏れることを防ぐ為だ。
毒、薬物、ドラッグ、麻薬の類は一切効かない。勿論、阿片も。
かつての青き星には、人間が怪奇を神として信仰し、生贄を捧げる風習のある地域もあったそうだ。
その他、人間と怪奇が共生していた地域も、上手く住み分けしていた地域もあった。
また逆に、怪奇ら自らが、食べた人間を供養する地域もあった。
腐食は、生きていることの、生命の象徴だ。
それすら無く、塵になって消滅するのは、怪奇がつくりもので、本当に生きているわけではないメタファーなのである。
怪奇は、月の光を糧にして生きる。
従って夜行性。
夜は目が利く。
逆に、日中の光に慣れるには時間がかかる。
赤き星の夜空は、暖かく、柔らかい光に満ちている。
人間のもつ強さ、それは、追い詰められた時、社会理念から外れる決意をした時、自分を叩き潰し、殺す決意をした特、これ以上なく燃え上がり、生きる気力が湧いてくるところだ。
しかし、多くの人間達は、そのことに気づいていない。
いや、本当は気づいているが、そこから目を背け、長いものに巻かれ、安全が保証された道を流される。
それでは、純粋に生きられない。
そんなのは、自分じゃあない。
もう、死んでいるも同然じゃないか。
過去にも未来にも縛られるな。逃げるな。
今だ。
今この瞬間に、自分を潰せ。
自分と、がむしゃらに戦え。
そうすれば、生きている実感がわくものさ。
変わりゆく人間たち、そして秘匿された未来
技術や化学が大幅な変化を遂げた(それによって、それまである一部によって独占されていたものが一般に開放された)のに伴って、人々の価値観(何が良いことで、何が悪いことだと人々が感じるか)も大幅に変化している。
我々は、過去のように無条件に「美しさだけを追求すれば良い」とは考えられなくなってきた。
「外見さえ良くしておけば、他人から注目される、認められる、幸福になれる。外見至上主義はなんだって解決してくれる」だなんて思っていない。
実際に外見を極限まで高めても、特にいいことなんてないのがばれてしまった。
既に、外見至上主義に何も期待していない。そんなものは、もう楽観的に信じていない。
高まり切った「外見至上主義」と「多様性主義」の死が始まっている。
それは、既存の価値観では、幸福を追求出来ないことが明らかだからだ。
我々の価値観変化の中心には、我々を幸せに出来ない「外見」や「多様性」への信頼の喪失があることが判る。
恋から冷めてしまうように、我々の心はいつの間にか、それらから離れてしまったのだ。
この世界で、我々は「自分の身を自分で守る」ことに価値を見出すようになった。
かつてのsnsも、そのシステムは誰かに支配され、我々にはコントロール出来ない。
それに、snsが何らかの力で崩壊してしまえば、我々はみんな不幸のどん底なのである。
昔は、インフルエンサーは正に英雄だった。その投稿を通じて、全人類に貢献したと考えられていた。
それに、彼らの後ろには、いつも企業や政府の影が見える。それが仕方のないことだとわかっている。
彼らも我々と同様にやとわれの身であり、自分たちの為に発言するということも我々は知ってしまったのだ。
過去の我々
「豊かさ」が信じられない
個人主義の台頭
共生主義
外見至上主義を「馬鹿馬鹿しい、そんなことに時間と金をかけるのはもったいない」と言う年寄りを置き去りにし、合理化に躍進した。
未来が下り坂であり成長が全く見られない為、「死にたい」と考える人間が非常に多い。
いじめを使って団結する時代である。
現代の世界は、深刻な食糧不足、水不足、環境汚染に侵されている。
大半の地域が朽ちた波で汚染され、かろうじて汚染されていない唯一の地域も徐々に蝕まれており、時間の問題である。
地上の汚染から少しでも遠ざかる為、50年前に逃げ込んだ大陸の大穴には既に地下都市が形成されつつあり、人類は深く深く、奥に奥に逃げ込んでいる。
空気を流す為に巨大な空調設備があちらこちらに設置されているが、上層の古い物のいくつかは壊れたまま放置されている。
青空は、少しずつ遠くなり、少しずつ埋められている。
この汚染問題を解決しようとすると、「どの順番で何をするか」「誰が金を払うか」「どの学説、データを採用するか」「どの企業が請け負うか」「それによってみんなに負担を強いることになるけれど、どの政治家が矢面に立つか」という、誰も手を出したがらない問題のオンパレードである。
これらの問題、利権を、「人類全体の幸福」という抽象的な基準で合理的に判断して。制限するだなんてことはもはや誰にも出来ない。
だからこそ汚染解決運動は小規模な形を取らざるを得ない。
だって、それ以外に信頼できる解決法が見えないのだから。
国家にも以前のような余裕は無くなったため、社会保障の範囲が相当に狭まっている。
戸籍登録が為されている人間は生まれた瞬間から一か月に一度具体的には50歳が”定年”と呼ばれ、ここを過ぎると給付金が打ち切られる。
就労に関しても、特別な配慮が必要な人々(障害者等)は相当に厳しい状況にある。
法律で規制されている訳では無いが、余裕のないこの世界に於いて、それが本人の意志でなかったとしても周囲の負担を増やすことは相当冷たい目で見られるのだ。
また、
各層の役所に保障の一環として安楽死テラスが設置されており、50歳以下であればいつでも無償で使用することが出来る(50歳以上は高額な支払いが必要)。
余程の上流階級でない限り50歳を過ぎて全ての負担を負って生きていくことはほぼ不可能で有る為、大半の人間は定年を迎える前にテラスを利用する。
お陰で自殺件数は非常に少ない。
私有の墓を持つ人間もほぼおらず、死体は共同納体センターにて処理されるが、実際に納体するとなると継続的に支払いが生じる為、大半の死体は処理後にそのまま破棄される。
このような緊迫した状況でありながらも外見至上主義は高まったままであり、優れた外見の者は、生まれた時から上の立場に居るようなものだ。
見た目の優れない者は恋愛市場に参加できないばかりか、そもそも人間の繋がりが作れなくなっている。
恋愛感情自体は否定されないが実際の恋愛ははコスパが悪くダサい為、偶像(二次元)に逃避する人間がほぼ全てである。
この時代の人間たちにとって、現実には雑音が多すぎる。人間味など、精々嫌われる要因になるだけなのだ。
したがって、この時代では「あらゆる者の脱リアル化、洒落化」が進行している。リアルな物よりも美しく綺麗でかわいくてかっこいい物のほうが上に見られるのだ。
上級国民は都市の最下層(最も安全な場所)で生活しており、下の立場の者ほど上層で生活している。
各層に数基ずつ汚染の流れが変化したことを知らせる装置があり、それが警報を発した瞬間に手に持ったすべてを放り投げて共同のシェルターに走らなければならない。
但し、上層には共同のシェルターが存在しない為、出来る限り近くの室内に逃げ込むしか方法は無い。
ごく一部の上級国民は、国からの保障を超えた豊かさを得ることが出来る。
大多数の中級・下級国民は、国からの保障に甘んじて、その範囲で生活している。
余談だが、カイとセイガは戸籍登録がなされていない為、これら国からの保障は一切受けられない。つまり、毎月の給付金も配給も国民年金も国民保険も無い。
加えて、現代の社会において、新生児以外の新規戸籍登録は認められていない。周囲の援助があろうとも困難を極める。
つまり、(イザベラを除き)何の援助も受けていない彼らは、(イザベラの援助があったとしても)殺人のような汚れ仕事でもしない限りは生きていけないのだ。
(それに加え、殺人者としての仕事が彼の心の支えになっている部分も大きいのである)
カイが一人で生きていた時は人肉だけを食べて過ごしていたが、純粋な人間のセイガにそれは酷であるため、現在はカイが直接(あるいはバーの姉さんを通して間接的に)、裏ルートから僅かな食糧を入手している。僅かと言いつつも、姉さんは少し無理をしてでもたくさん持たせてくれるが。
この都市を支配している企業エニグマは、生み出している経済利益が莫大なのにも関わらず、雇っている人間が非常に少ない。誰一人、雇うつもりが無い。
税金も納めず、得た利益を大衆に分配しない。
中産階級が空洞化し、貧富の差は広がる一方。
失業者は、毎年物凄い勢いで増加している。
我々を快適に、便利にしてくれるのに、快楽に溺れさせてくれるのに、豊かに、幸せにしてくれない。
義務教育システムは継続しているが、裕福な親が家庭教師を雇うか、あるいは貧しい親が公立の学校に行かせるか、それともエニグマの寄宿学校に金を積んで行かせるかの三択になっている。
最下層である第十層にはエニグマの社屋が存在し、中心から塔が地上まで伸びている。
しかし、更に下に何かある、という噂が立っている。
更に、人間の暮らす世界と並行して、怪奇が暮らす世界が存在している。
かつては双方が同じ世界で生活していたものの、元々通じ合った関係では無く、各所で争いも発生していた。
やがて、怪奇達は人間に押され始め、勝ち目が無い、もうこの世界に居場所が無いと悟った彼らは、たまたま発見した並行世界に移住し、それ以降人間との接触を一切断っている。
但し、この並行世界は怪奇達が創造したものではない。既に多くの地域が開発され、インフラも整備されていたにも関わらず、人間も怪奇も一体も存在しない世界であった。誰が、何の目的でこの並行世界を創造したのかは一切不明である。
更に、怪奇の存在は人間世界の歴史上から抹消されており、記録が一切残っていない。
その為、怪奇や並行世界の存在は認知している人間は、その名前とわずかな性質だけを知っているカイと、赤き星の存在を確認した物語途中からのエニグマの上層部数人しか存在しない。
プリズン
地上の全てが朽ちた波に呑まれた中、唯一残った人間が生活できる都市。
現在ではほぼ全ての人間が共通の言語を話すようになっている。
底が見えない程に深い大穴の壁に、うねってへばり付くように都市が建設されている。
現時点では地上から第一層、第二層、、、と数えて第十層まで建設されており、第十層にはエニグマの本社が位置している。
瓦礫が組み合わさった見た目の巨大な塔が第十層から第一層までの中心を貫くように聳え立っており、人間が生きるのに必要不可欠な光調と空調、そして警告システムを担っている。
大穴の内部にも を含む風が吹き込むことがあり、それが感知されて警報が鳴り響いた瞬間、手に持った全てを放り出して室内に逃げ込まなくてはならない。
第十層よりも下がどうなっているのかは一般に明かされていない。エニグマが調査をしており最下層が存在するという噂があるが、現時点では詳細は不明である。
朽ちた波による汚染は現在進行形であり大穴の内部に達している為、既に第一層と第二層はエニグマにより放棄されて廃墟と化している。
しかし、第三層にすら住めないホームレスは現在でもここを住みかとしている。その大半が数日も持たないが。
上層ほど の影響を受けやすく危険である為、上流階級の人間である程下層に居住している。
プリズンタワー
通称、瓦礫の塔。瓦礫が組みあがったような独特な外観で、地上から十個のユニットで構成される。プリズン内の光量調節、空気の清浄、循環を担う。
空気を上に向かって押し上げるようなしくみになっており、出来る限り胞子が広がることを防いでいる。
第一ユニットの屋上にレーダーが設置されており、これで天気を予測する。
レーダー部分を除く第一ユニット、中心のケーブルを除く第二ユニットは既に放棄されている。
第一層、第二層
“デッドエンド”と呼ばれる。既に朽ちた波に侵されている階層で、エニグマにより放棄され管理されていないため貧困層、浮浪者、ホームレス、廃人、犯罪者集団等が住み着くスラム街と化している。
政府は建前上管理していることにはなっているが、力が無さ過ぎて給付金交付以外のことは何もしていない。
エニグマによって放棄された際に第三層以下に引っ越せた人間とそうでない人間がおり、後者が大多数である。
プリズンの中で、最も人口密度が高い階層。
エニグマでは「既に誰も居住していない筈だから」という体で働きかけても全く管理しようとしない(政府は給付金を交付している=まだ人が棲んでいるのに、である)為、しびれを切らした第三層の住人が独自に組織を結成し、接続ユニットの封鎖と警備を行っている。
瓦礫の塔の第一、第二ユニットは動作し続けているが、第三層以下にも影響する空調設備と気象レーダー以外は維持管理が行われておらず、光量調節がうまく働いていない。
そのため、昼でも暗い所は暗く、様々な犯罪の巣窟になっている。
第三層~第九層
現在もエニグマによって維持管理が行われている階層。
第三、四層
元々は普通の団地が密集していたが、第一、二層が放棄されたことで多くの工場が移転してきた。
その為現在は工業団地であり、環境は少しずつ悪化している。
一般層と貧困層(貧困層寄り)の間の人間が多く生活する。
第五、六、七、層
主に一般層が生活する階層。
五層より六層、六層より七層の方が地価が高く、治安が良い。
第八層
貴族階級までは届かずともそれを目指しているようなアッパー層が生活する階層。
第九層
貴族階級、つまるところエニグマの社員のみが生活する階層。
人口密度が最も低い階層である。
第十層
エニグマ本社ビルが存在する階層。主要な政府機関もこの中に組み込まれているが、今の政府は完全にエニグマの傀儡である。
朽ちた波
ある時突然に発生し、地上を満たし始めた謎の物体。
これまでの研究によって生殖機能を持つことが判っており、何らかの生き物ではないか、と言われている。
様々なものが融合した、何にも形容し難い形状をしている。
しかしながら幻想的で独特な美しさを持ち、それに惹かれる人間も一定数存在する。
常に微小な胞子が放出されており、対策なく継続的に多量を吸っていると「廃死病」に感染する。
現在のところ浸食を止める具体的な方法が判っておらず、プリズンタワー(瓦礫の塔)の空調で胞子を出来る限り追い出し、胞子が放出される周期を分析して予報を発令する以外の対策が出来ないでいる。
何かで塞ごうとも、ありとあらゆる物質をゆっくりと突き破って伸びて来てしまうのだ。
廃死病
朽ちた波が放出する胞子を継続的に多量に吸い込むことで感染する難病。
人間のみが発症する。
潜伏期間は僅か二、三日であり、比較的すぐに症状が現れる。
軽い呼吸器疾患と貧血に始まり、それがだんだんと重くなる。
食も細くなり、身体は痩せこけ、皮膚が傷付きやすく、そして治りづらくなる。
少しずつ自然と皮膚が裂けて血がにじむようになり、感覚器官が麻痺してゆき、酷くなると身体中に裂傷が現れ、朽ちた波と似た形状に血肉が変形し、発症して僅か一週間程度で死に至る。
未だに治療法が確立されておらず、感染すれば死ぬ他無い。人間が出来る対策は胞子を出来る限り吸い込まないこと、朽ちた波から出来る限り遠ざかる事のみである。
プリズンの第十層より下、最下部には広大な空間があり、水が溜まっている。
ここが、世界でただ一つの聖地である。
聖地とは、裏の世界が見えやすい場所のことである。
即ち、精神が健常で夢の世界を行き来できない人間や怪奇でも、ここに来れば、裏の世界を覗くことが出来、運が良ければ入っていけるのだ。
夢と現の境界とはよく言うが、碧き星も、緋き星も、どちらも現の側である。
夢の世界が真ん中にあり、その両端に夢現の境界があり、それを二つの現の世界が挟んでいるのだ。
夢現の境界を越えるには、精神を今いる世界に根付かせず、遊離させておく必要がある。
つまり、発狂してキチガイになることだ。
聖地とは「二つの夢現の境界と夢の世界を経由せずに現の世界同士を行き来出来る場所」である。
つまり、精神が健常な人間は、聖地を通じて現の世界同士を行き来することは出来ても、その狭間に位置する夢の世界にアクセスすることは不可能である。
夢の世界に閉じ込められた人、もの、怪奇はこれまでに数え切れない。
健常なものはアクセス出来ない為自力で脱出する必要があるのだが、夢の世界に一度入ったものの大半はそこに精神が根付き、永遠にそのままになってしまう。
なぜなら、夢の世界にアクセス出来るのは精神異常者だけ、つまり、現の世界に居場所がないものだけだからだ。
廃屋
プリズンの最下層の中心に位置する、正体不明の廃屋。
一般にその存在は明かされていない。
廃屋の中には正体不明の怪物が住み着いてい¥るとされ、一度中に入ったものは二度と脱出する事が出来ないといわれる。
内部には並行世界への入り口がある、、、と、されている。
カイが母親と共に過ごした家が、そのまま残されている。
怪奇
人外と呼ばれ、人間から除け者にされた者達の総称。
総称である為に怪奇の中にも幾つかの種族があり、その中でも一個体ごとに特徴に違いがある。
その為全ての怪奇に共通する事項というものはないが、大半の怪奇に共通する特徴として
・人間と比べて圧倒的な身体能力を持ち、どれだけ酷い怪我でも滅多に死なず、寿命が非常に長い(正確には、心臓或いは脊髄が完全に破壊(心臓に穴が開く、脊髄が一部折れる等の不完全な破壊だと蘇る)され、血肉から分離されない限りは死なない)
・その代わり、精神的な部分に弱点があり、それによって死ぬ者が多い。
・人間とは異なる外見上の特徴を持っている(その大半が人間からは忌み嫌われるものだが、現在の怪奇は近年まで人間の傍で生きながらえていたので、まだ人間に受け入れられやすい外見の者が多い。余りにも人間に受け入れられ難い外見のものは、既に大半が駆逐されてしまった。)
・本能的に、人間を食したいという欲を持つ。
怪奇には、その内面が外形に現れる特性がある。
先述の通り、現在の怪奇は人間の姿に近いものが大半であるが、何らかの要因によって「堕ちる」(=かつての怪奇のように、人間の姿とは遠くなる)ことがある。
人間の心を持ち合わせていく段階で人間の外形に近くなり、その後の様々な争い、最後の人怪戦争によって人間と遠い外形をした怪奇はほぼ駆逐され、現在の怪奇は人間の外形にある程度近いものとなっている。
人間と怪奇の混血
人間と怪奇の両方の性質を持ち合わせる。現時点では魁しか存在が確認されていない。
基本的に
・完全な人間の姿をしている(但し、何らかの要因で「堕ちた」場合はその限りでは無い。)
・人間を遥かに凌駕する身体能力を持つが、怪奇には及ばない。
・精神的な強さは怪奇を凌駕する。人間と同程度、あるいは一段下。
・寿命は怪奇に及ばない。
最も重要なのは、「人間を喰らわずとも、人間の外見と心を保ったままである」ことである。
従って、カイは、人間を喰らう必要がない。
ただし、カイだけでなくセイガも、シンキが提唱したレリシスと同じ法則で堕ちることは可能である。
「僕たちは、人間にも成り得るし、怪奇にも成り得る(セイガ)」
セイガは純粋な人間でありながらも怪奇として生きる道(父親と同じ道)を、カイは混血でありながらも人間として生きる道を選んだ。
赤き星
青い星の裏側に位置する、もう一つの世界。
ただし「裏側」とは精神的な境界によって隔てられた表裏という意味であり、単に物理的な裏側ということではない。
赤き星と蒼き星の連絡通路は精神世界であり、脳が作り出した虚像である。言うなれば夢の中である。
夢に侵されるカイは度々、この通路にアクセスしていたことになる。
つまり、この通路には、夢さえ見れば何人たりとも入ることができるが、そこから赤き星まで接続するには、更に手順が必要となる。
それは、その虚構を現実として認識することだ。
思い込むのでは無い。単純に、そう認識するだけだ。
つまり、狂うということだ。
青い星が死んだ時は赤い星が露わになり、赤い星が死んだときは青い星が露わになる。
青い星の人間は存在を認知しておらず、赤い星の影響で起こる小さな現象は全て超常現象の一言で片づけられる。
「表裏」である為、青い星がある傾向を持つと、赤い星はその逆の傾向を持つ。
現代に於いては、青い星の人間がひどく委縮して狭い価値観にとらわれている為、
赤い星の怪奇達は広々とした心と広い価値観を持っている。
また、青い星で消えたものや行方不明になった人間が赤い星に現れることがある。
必ず逆を行くわけではなく、あくまでも逆の傾向が「強まる」だけであるが、青い星のほうが強い立ち位置であり、影響力も大きい。
赤い星の動きによって青い星が影響を受けることもあるが、ごくわずかである。
その為、赤い星の怪奇達は、自身の住む世界の動きも、青い星の動きも基本的に制御出来ない。
赤い星の状況から、青い星の人間の動きを考察するにとどまっている。
怪奇が人間からここまで距離をおいてもなお、怪奇の運命は人間に委ねられたままだ。
怪奇は、ずっと人間によって力的に支配されてきた。
人怪戦争での敗戦から赤い星に逃亡し、ようやく人間の力的な支配下から脱したかに思われた。
しかし、それでも、彼らの願いは叶わなかったのである。
本来であれば、青い星と赤い星のバランスが保たれ、五分五分で影響を及ぼし合うのが最も理想的な状態である。
しかし、そうするには、やはり怪奇達は余りにも精神的に弱すぎるのだ。
青い星と赤い星の境界が精神的なものである以上、怪奇の持つ圧倒的な身体能力は、何の役にも立たない。
結果、人間の精神力によって、青い星が圧倒的優位に立ち、赤い星はただただ流されている。
常に大量の制御できない事象にぶち当たり、必死に抑えて時が過ぎるのを待つばかり。
怪奇達が追いつめられるのも当然である。
このまま追いつめられ続け、精神的に折れ、怪奇が滅亡してしまっては、これまでの努力が全て水泡に帰してしまう。
しかし、怪奇達は、精神的に強くなる術を持っていない。
それに、中途半端に強くなったとしても、幸運にも精神力が五分五分になったとしても、行方不明の怪奇が青い星に現れ、怪奇が再び人間に認知されてしまうリスクが高い。
そうなれば、再び人間によって糾弾され、結局怪奇は滅亡してしまう。
それは、何としてでも避けなければならない。
つまるところ、怪奇が現在の状況から脱し、これからも生きていく為には、人間を滅ぼす他になかったのである。
レリシスは、怪奇達を守る為、朽ちた波となり、青い星へと帰還して浸食することを決めた(純粋な人間であり本来は堕ちることが出来ないが、シンキの研究による法則により堕ちた)。そして、このシンキによる施術を受けたあとの性交でつくられた子供だからこそ、セイガは混血まではいかずとも、堕ちることが可能だったのである。
一方で、これはやむを得ない手段であり、誰も望んでいないことであるとも理解していた。
アリアは人間を恨みつつもこの計画には内心で反対しており、何らかの指針(人間による活動=青い星からの影響)無しに己の中の人間の心を保っていられるほど怪奇は精神的に強くないと考え、表では計画を支持しつつも、いざ人間が消滅したとき、怪奇の世界もそう長くないのではないかという危機感を持っている。
但し、
加えて、現在の青い星は、人間たちによって死の危険に晒されている。
「星が死ぬ」とは、物理的な消滅ではなく、概念そのものの消滅のことである。
偽りの多様性を追求した結果として選民的、排他的、侮蔑的、閉鎖的、拒絶的になっている青い星の影響もあり、赤い星ではあらゆる者、物、思想を受け入れる動きが強まり続けている。
アリアもこの点に関しては好意的な反応をしており、「高い壁」や「排除」によって碧い星と断絶しようとするものの末路について語っている。
たくさんの怪奇が傷つけられたことを知っている今もなお、「隣人」である人間と怪奇が共存する道を探ろうとしている。
